切迫流産・切迫早産中 -初めて妊娠記録-

高齢出産で初妊娠の記録として、切迫流産・早産や自宅安静中のこと、気になるお金のことなどを書きます。

切迫流産・早産で入院

妊娠中期で出血は危険!すぐに病院へ

私は当初、女医さんのほうが良いという個人的な理由で通っていた小さな産婦人科から、妊娠15週のときに「前置胎盤の疑いあり」と診断されました。まだはっきり診断を下すのは週数としては早いため、暫く様子を見ようとのことだったのですが、「前置胎盤は急に大出血することがあるからね!」とここで初めて脅されました。しかし、ツワリなどもほとんど無く、妊娠の実感が薄い私としては、まあ大丈夫でしょう程度に聞いたのですが、家に帰ってネットで色々調べてちょっと悶々とし始めました。あら?私、もしかしてハイリスク出産なんですねと気がつきました。

18週で転院、というか新しい病院に駆け込み!

18週の時に「これは低置胎盤かなー。どちらにしても出血したらすぐ入院できるような大きな病院がいいから、紹介状書きますね。」と言われて、1週間後の週末に新しい病院に行くことになりました。

ところがそれから5日目。仕事中は何ともなかったのですが、ランチを食べている時に一瞬お腹がビリっと痛みました。まあ妊娠中は靭帯や子宮が急に伸びますので、たまに変な痛みを感じることがありますよね。あまり気にもせずに会社に戻って仕事を再開、暫くしてからトイレに行くと・・・あれ?

排泄後のティッシュに茶色い血がついていました。すぐに「流産かな?」と思いましたが、量も少ないし少々様子を見ながら落ち着いてこの状況をネットで調べてみることにしました。とりあえず、病院に行ったほうが良いことを理解。出血を発見してから1時間経過したし、もしや出血が止まったりしてないかな、なんて甘い期待をしながら再びトイレに行ってみると・・・うわー、前よりもドクトクと茶色い血が出てきた!

これは様子見なんて悠長なことを言っている場合じゃないな、と思って30分で仕事の後始末をしてタクシーに飛び乗り、新しい病院に駆け込むことになりました。

タクシーにお願いして、途中で家に寄ってもらい紹介状と母子手帳を持って新しい病院へ。出血があることと、初診だけど紹介状を持っていることを伝えるも、予約の方優先とのことで30分~1時間ほど待っているうちに出血は止まったようでした。

そんなこんなで、出血を発見してからたぶん4時間ぐらいは経過してから、やっと診察になりました。経膣エコーと洗浄、経腹エコーを終えて、新しい病院の先生は「血液が茶色いので、以前に出血したものが今になって出て来たのだと思います。止まったみたいなので、まあ大丈夫でしょう。」と状況説明をしてくれました。

胎児には特に今のところ問題は無く、今日はこれで帰って良いということになりました。再度出血した場合の目安としては、「鮮血であればすぐに来て」とのこと。明日からの仕事は「うーん、まあ安静にしたほうがいいんでしょうけどね。」とのこと。うーん、微妙なコメントだ。と思いつつ、まあ私みたいな人は出勤してしまうわけです。次の日も。

19週に入って再び出血、今度は鮮血・入院だ!

駆け込み転院翌日、どうしても抜けられない仕事があって出勤してしまいました。それは一応、気をつけてはいましたけどもやっぱり少々ハードだったのか、夕方になると少々お腹が張っている感覚がありましたので、定時で帰って家で横になりました。

会社の方々にはまだ正式に妊娠を伝えてなかったので、昨日問題があって病院に行ったこともあわせてお知らせしました。36歳の初妊娠・高齢出産であり、この先も何があるか分からないので、早めに代理を探しておいて欲しいという希望も伝えときました。

しかし翌日の朝、まさかの再出血。前々から私は便秘なのですが、少々力を入れすぎてしまい?排便のあと鮮血がポタポタと・・・。

「鮮血であればすぐに来て」と言われていたので、再び病院に行きました。病院に着いた頃にはまた止血していましたが、今度は診察後そのまま入院となってしまいました。

 診断名は切迫流産、点滴と安静の入院生活!(1回目)

すぐに病室に車椅子で運ばれ、ベッドに横になっているように指示されました。このとき、まだ甘く考えていたけど、すぐにウテメリン点滴を装着され、トイレ以外は歩いてダメ!の生活が始まりました。

えー?私、元気なんですけど。子供も無事だったのに?シャワーは?仕事も家も何にも入院の準備してないんだけど?という状態だったのですが、担当医師から入院計画書なるものが手渡され・・・診断名は切迫流産。入院期間の欄には2週間~と書いてありました。

これはショックでした。低置胎盤で出血することは理解していたのですが、自分の中で切迫流産・早産にリンクしていなかったし、切迫流産・早産に関する知識がまったく無かったので、「流産」の2文字を見て、「えっ!?流産なの?」と動揺しました。それから、会社に昨日妊娠を伝えたばかりで、こんな急に2週間もしかしたらそれ以上も入院ってありえないでしょ、という会社(同僚)に対する懸念

それからはスマホを使って病室で切迫流産について調べまくる日々。「切迫流産」と検索してみれば分かると思いますが、妊娠22週未満の「流産になりかけている、あるいは可能性がある」という意味であって、実際には流産になる可能性が高くない場合も含まれると分かってひとまず安堵。私の場合は初日すぐに出血は止まっていて胎児も元気、お腹の張りや痛みも無く子宮口や頚管にも異常は無いとのことなので、おそらくは「念のため入院」なんだろうと勝手に自分に言い聞かせました。親にも今回は、言わずに済ませたい。急に切迫流産なんて聞いたら私みたいに驚くだろうし、あまり心配させたくない。ということで今回は会社以外には内緒にしました。

入院生活は他の方々の入院記録にもあるように、ウテメリン点滴の副作用やトイレ以外は歩いてダメ!生活のストレス、入院費の心配などいろいろありました。(長くなるので別記事で書きます。)入院用のパンツと生理用品問題(夫にタンス空けられるのイヤだし、買って来てとも言いづらい)は病室からamazonで注文して自宅に届けてもらい、それを病院まで夫に持ってきてもらう方法でしのぎました。

そんなこんなで私なりに数日我慢しましたが、経過が良いことを理由に、入院4日目から担当医師に退院交渉を始め、なんとか無理やり7日目で最低1週間の自宅安静を条件に(会社は出勤しないで、自宅勤務。なるべく家の中で過ごすようにとのこと。)退院することにしました。

「安静」を甘く見て、トホホの再入院!(2回目)

ここまで読んでくれた方には、もう私がいかに不注意で身勝手でおバカな人間かよくお分かりかと思います。そして次に何が起こるかも、予想できているはずです。そうです、私はダメな妊婦の代表的な見本ですので、どうか皆様は私の事例を反面教師になさってください

自宅安静とは基本的にトイレや食事以外は横になって過ごすべきなのであって、体調が安定しているとしても、簡単な家事以外はなるべく休むような生活を言うのです。 

これをよく理解していなかった私。いや、理解していないことにしたかったのだと思います。

急な入院でしたもの。夫は仕事と私の見舞いで忙しい中、できる限り家の事も頑張ってくれた形跡がある・・・でも!冷蔵庫の中で腐っている食品や洗濯物を発見したら、気になりますよね。ご飯だって出来ればレトルトでないもの・野菜をたっぷり食べるべきだという強迫観念。そして我が家には可愛い家犬もいるので、家に一日中居て糞尿、床に落ちた毛や散歩・・・見て見ぬフリはできません。

退院4日目まではなるべく大人しくしていましたが、5日目、6日目にもなると「出血も無いし」「来週からは出勤するのだし」と独断で少しずつ体慣らし?を始めてしまいました。誰もそんなこと頼んでないのに!!

退院5日目の夜、晩御飯ぐらいそろそろ作ろうと思って晩御飯のお米を研いで鍋をコンロにかけたとき、子宮のあたりが少しピリピリと痛んだのを覚えています。それでもなるべく注意しながらご飯を作って食べ終えて、あとは横になって夫の帰りを待ちました。夫は帰ってくると「今日はちょっと顔色が悪いね」と私の変化に気がつきました。そう、この日はまだ明らかな出血はしていなかったのですが、オリモノがほんの少しサーモンピンクだったので、おそらくちょっと不安で顔色が悪かったのかもしれません。その日はいつもよりも早く就寝してゆっくり休みました。

退院6日目。昨日のことなどすっかり忘れて、独断リハビリに励みます。午前中は自宅で少々パソコン仕事をしつつ、ネットでいろいろ注文したり、フローリングモップをかけたり、洗濯物を干したり。昼から自分の簡単な昼食を作って、午後は近所の友達に借りていた本を返しながら、20分ほどの愛犬の散歩もしてしまいました。帰宅してちょっと疲れたなと感じたので、今日はこれから安静にしよう!と判断。暫く横になってから尿意を感じたのでトイレに行ったのですが・・・そこでまたもや鮮血がポタポタと。

ああ、やってしまった。また入院だ。容易に想像がついたので、昨日今日で片付けたばかりの前回の入院グッズをまたテーブルの上に揃えて、1日分だけ自分で持って暗い気持ちでタクシーに乗りました。退院して明日でちょうど1週間、妊娠21週に入ったばかりのタイミングでした。

前回より速やかに病院に行って受診したためか、「今回はけっこう出血してますねー。このまま入院になりますけど、前回より慎重に安静治療をしましょうね。」と言われてしまいました。

 前回同様出血はその日のうちに止まり、私も胎児も元気で出血以外に目立った問題は無かったのですが、担当医師からは「また出血して止まらなかったら失血死しますよ」とか「最悪の場合は妊娠を諦めるケースもありますが、NICUのある病院に転院しておいたほうがいいかもしれませんね。」などなど、今回はめいっぱい脅されました。

また入院中も、あらゆるものが倍以上

  • 前回は4日だったウテメリン2A50mg点滴が、今回は13日に
  • 前回は1日 だったウテメリン1A50mg点滴が、今回は2日に
  • 前回は3日目から入ってよかったシャワーが、今回は6日目以降に
  • 前回は5日目から病室の外に出れたのが、今回は14日目に

精神的なツラさも入院費も、前回の倍でした。今回はさすがに長くなりそうなので、やむなく自分の親だけには一応報告。会社はいつまでも有給使って休んだままではハッキリしなくて迷惑かと思ったので、早々に休職を願い出ました。

夫は会社から「もうずっと病院に入れておけ。」と言い含められていたらしく、1週間経ったあたりから退院したいと言っても今回は同意してくれませんでした。

結局2回目は、どうにかこうにか色々工夫して(別の記事で書きます。)入院生活を送り、15日目にして自宅安静を絶対条件に(会社は入院中に休職しました。今度は家事も厳禁です。)また退院交渉をしてやっと退院できました。

1回目の入院から約1ヶ月経過していますので、安静に安静にとやっているうちにお腹もグンと大きくなり、あまり歩いていないもので筋肉が弱ってしまって、宇宙人みたいな変な歩き方になりました。点滴の跡もいくつか残りましたが、自分が悪いんだし胎児に全く問題がなかっただけ私は運が良かったのです。せめて二度と入院しない(出血しない)ようにしようと誓って、23週目の朝に退院したのでした。

2度目の入院中に、私の病名は切迫流産から切迫早産に変わりました。これからは胎児をお腹から出さざるをえない場合でも、24週を越えれば5割、25週を越えると8割以上が治療によって育つ可能性が出てきます。

これからは物事の優先順位や考え方を変えて生きなくてはいけないのだなと、今頃になってようやく理解いたしました。

ご迷惑や心配をおかけした皆様、そして今はまだお腹の中の物言えぬわが子に心からお詫びする気持ちで、自宅安静の生活を再びスタートさせたのでした。

 

 

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