切迫流産・切迫早産中 -初めて妊娠記録-

高齢出産で初妊娠の記録として、切迫流産・早産や自宅安静中のこと、気になるお金のことなどを書きます。

分娩後記その2 無痛分娩をお願いします!

体力と根性が尽きかけて、試しにお願いしてみた無痛分娩への切り替え。担当医師がやってきて、耐えられるレベルの陣痛を感じる和痛分娩なら対応してくれるとのこと。麻酔の助けを得て、5日目の夜にようやく最終局面へ。

 

5日目の朝、私の体力と根性は消滅しかけて、完全に情けない人状態になっていました。試しに助産師さんに「無痛分娩、お願いできませんか」と聞いてみたところ、反応はあまり良くなかったのですが一応担当医師に伝えてくれました。

数時間後に現れた医師は「無痛ではなく、陣痛が分かるレベルの和痛分娩なら対応できる。しかし痛みがなくなる分、いきみのタイミングが分からなくなったりと分娩がさらに長期化する可能性がある。」という話と、硬膜外麻酔のリスクについての説明をしてくれました。

この時、既に日曜日の朝。金曜日からこちらに来て付き添っている夫も、本当なら(今日生まれないなら)そろそろ一旦東京に戻って出社しなくてはならないのでは・・・?という余計な心配が頭をよぎります。既に思考回路が途切れかけていた脳ミソに、更に長期化する可能性や麻酔のリスクを吹き込まれると、今まで「無痛分娩やりたい!」と思っていたくせに急に迷いが生じてくるものです。

傍にいた夫に意見を聞くと、「何を迷っているの?(長引く心配より、今は痛みを軽減したほうがいいんじゃないか)」と私を後押ししてくれたので、決心して麻酔投与を開始してもらいました。硬膜外麻酔といって、背中に針を刺す方法です。「痛いですからねー。」と針を刺す前に念押しされましたが、陣痛の痛みのあとでは全くと言っていいほど痛くなかったです。

麻酔を入れると、陣痛がコントロールされてきました。あくまでもこの病院が施してくれる処置は「和痛」なので、それなりに痛いのですが、「これは痛みじゃない。子供の頭が下がってきて、子宮口に圧力がかかっているだけだ!」と自分に言い聞かせれば絶えられるレベルになりました。痛みが強くなって辛くなってきたら、自分で3mlほどの麻酔を追加できるポンプのようなものも支給されました。これが本当に有難かった。

おそらくこの麻酔と一緒に陣痛促進剤なども投与されたのですが、決め手になったのは謎の「下痢止め薬」

バルーン→陣痛誘発剤→促進剤と処置を重ねても、私の子宮口の開きは6センチ、7センチ、8センチと超スローペース。5日目の夕方になってもそれ以上進まないので、最終手段として謎の「下痢止め薬」(医師の説明によると公式に子宮口を柔らかくする効果が証明されていないとのこと)を提案され、投与しました。なんとこれが功を奏し、「子宮口がいい感じになってきたので、そろそろ陣痛にあわせていきんでみましょう」と分娩は一気に最終段階へ。

今晩も病院に泊まりになる可能性もあったので、夕食後に仮眠をとるために分娩室から出て行った夫を電話で呼び出してもらい、医師や助産師数名が数名揃ったところでモニターの波を見ながら分娩開始。「最初からこの薬(下痢止め)を投与してくれればよかったのにっ!」と心で叫びながらそのあと約1時間弱で吸引娩出術の助けも借りながら頭囲11センチ超の我が子を外に出すことが出来ました。
子宮口は一般的に最大時10センチ開くと言われていますが、我が子はそれを超える頭囲で膣内や会陰などはかなり裂け、出血も多かったようですが、和痛分娩に切り替えてもらったおかげで母子揃って生きて分娩室を出ることができました。


ビバ・和痛分娩。


その後のその後。退院後数週間は様子を見ていたのですが、いまだに背中を曲げると麻酔を刺したあたりに少し鈍い痛みと違和感があります。母乳外来に行ったついでに体調を聞かれたので背中の痛みを伝えたところ、「麻酔したならそういうこと(痛みがまだ残る)もあるかもしれませんね」と言われました。日常動作に支障が出るほどの痛みではないので、もう暫く様子をみてみたいと思います。

 

 

分娩後記その3 疲労と痔の痛みで母子同室延期 に続く

 

 

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